地獄変
スマホでは、画像の上で指を広げると、大きくして見られます。
誰も忘れた様に、娘の噂をしなくなつて了ひました。
丁度その頃の事でございませう。
或夜、私が独り御廊下を通りかゝりますと……
気味の悪いのが三分、新しい袴をひっぱられる腹立たしさが七分とで、蹴放して通りすぎようかとも思ひましたが
(前にこの猿を折檻して、若殿様の御不興を受けた侍の例がある)
(それに猿の振舞が唯事とは……)
(人の争ってゐるらしいけはひが)
(狼藉者でゞもあったなら、目にもの見せてくれよう……)
かうなってはもう躊躇してゐる場合では)
女
良秀の娘
慌しく遠のいて行くもう独りの足音
誰です?
(……この上、問ひ訊すのは……)
もう曹司へ御帰りなさい
(何か見てはならないものを見たやうな……)
(!?)
(誰かが袴の裾を……)
その晩の出来事があってから、半月ばかり後――
良秀は突然、御邸へ参りまして、大殿様へ直の御眼通りを願ひました。
地獄変の屏風でございますが、あらましは出来上ったも同前でございまする。
唯一つ……今以て描けぬ所がございまする。
私は総じて、見たものでなければ描けませぬ。よし描けても、得心が参りませぬ。
……では地獄変の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。
さやうでござりまする。が、炎熱地獄にもまがふ火の手は、去年の大火事に眺めました。
罪人はどうぢゃ。獄卒は見た事があるまいな。
私は鉄(くろがね)の鎖に縛られたものを見た事がございまする。
怪鳥に悩まされるものゝ姿も、具に写しとりました。
されば罪人の呵責に苦しむ様も、知らぬと申されませぬ。
又、獄卒は……
又、獄卒は、夢現に何度となく眼に映りました。
>牛頭、馬頭、三面六臂の鬼が、殆ど毎日毎夜、私を虐さいなみに参ります。
私が描かうとして描けぬのは、そのやうなものではございませぬ。
では何が描けぬと申すのぢゃ。
……私は、屏風の唯中に檳榔毛の車が一輛、空から落ちて来る所を描かうと思って居りまする。
車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火に悶え苦しんでゐるのでございまする。
さうして、そのまはりには、怪しげな鷙鳥が飛び繞ってゐるのでございまする。
それが、その牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ。
さうして――どうぢゃ。
それが、私には、描けませぬ。
どうか檳榔毛の車を一輛、私の見てゐる前で、火にかけて頂きたうございまする。
さうして、もし出来まするならば――
……
おゝ、申す通りに致して遣はさう。出来る出来ぬの詮議は無益の沙汰ぢゃ。
檳榔毛の車にも火をかけよう。
あでやかな女を一人、上臈の装をさせて乗せて遣はさう。
車の中の女が、悶え死をする――それを描かうと思ひついたのは、流石に天下第一の絵師ぢゃ。
褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ。
……あ、難有い仕合でございまする。
それから二三日した夜――
雪解ゆきげの御所
ここは昔、大殿様の妹君がいらした山荘
ここで妹君が御成くなりになってからは、久しくどなたも御住まいにならなかった所で
広い御庭も荒れ放題に荒れて果てて居りました。
良秀。
今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。
よう見い。それは予が日頃乗る車ぢゃ。その方も覚えがあらう。
予はその車にこれから火をかけて、目のあたりに炎熱地獄を現ぜさせる心算つもりぢゃが
その内には、罪人の女房が一人、縛いましめた儘、乗せてある。
されば車に火をかけたら、その女めは四苦八苦の最期を遂げるであらう。
雪のやうな肌が燃え爛たゞれるのを見のがすな。
黒髪が火の粉になって、舞ひ上るさまもよう見て置け。
末代までもない観物ぢゃ。予もここで見物しよう。
それそれ、簾を掲げて良秀に中の女を見せて遣わさぬか。
(良秀の娘)
火をかけぃ
――何と云ふ不思議な事でございませう。
さっきまで地獄の責苦に悩んでゐたやうな良秀は
今は恍惚とした法悦の輝きを満面に浮べながら、両腕をしっかり胸に組んで、佇んでゐるではございませんか。
不思議なのはそればかりか、その時の良秀には、怪しげな厳さがございました。
不意の火の手に驚いて飛びまはる夜鳥でさへ、良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかったやうでございます。
何と云ふ荘厳
何と云ふ歓喜
(大殿様)
――その夜の事は、誰の口からともなく世上へ洩れましたが
随分いろいろな批判を致すものも居ったやうでございます。
先第一に、何故、大殿様が良秀の娘を御焼き殺しなすったか
これは、かなはぬ恋の恨みからなすったのだと云ふ噂が、一番多うございましたが
大殿様の思召しは、車を焼き人を殺してまでも、屏風の画を描かうとする、絵師根性の曲なのを懲らす御心算だったのに相違ございません。
現に私は、大殿様がさう仰有るのを伺った事さへございます。
それから、やはり何かとあげつらはれたやうなのは、良秀の心もち――
如何に一芸一能に秀でやうとも、人として五常を弁わきまへねば、地獄に堕ちる外はない。
――などと、横川の僧都様などはよく仰有ったものでございます。
その後、一月ばかり経って
良秀が地獄変の屏風を大殿様の御覧に供へました時
御居合はせになりましたが――
出かし居った
この言を御聞きになって、大殿様が苦笑なすった時の御容子も、未だ私は忘れません。
それ以来、良秀を悪く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。
誰でもあの屏風を見るものは、厳かな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じるからでもございませうか。
しかし、さうなった時分には、良秀はもう――
屏風の出来上った次の夜
自分の部屋の梁へ縄をかけて、縊れ死んだのでございます。
屍骸は今でも、良秀の家の跡に埋まって居ります。
尤も、小さな標の石はその後、何十年かの雨風に曝されて
とうの昔、誰の墓とも知れないやうに苔蒸してゐるにちがいございません。
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